育て「木の酒」 味よし香りよしで林業振興に

樹齢100年の樹木からつくる「木の酒」。研究陣の取り組みで試飲が可能になった。林業の活性化のカギとなるか。

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起源を1万3千年前にさかのぼる酒造の歴史に新たなページが加わった。

ワインのような「果実酒」でもなく、日本酒やビールといった「穀物酒」でもない。身近にありながら、これまで酒に変えられなかった素材を用いた夢の酒の登場なのだ。

この素材とは、樹齢を重ねた森の木々。その木材を発酵させた「木の酒」だ。国立の森林総合研究所(茨城県つくば市)の研究陣による6年がかりの取り組みで、このほど試飲が可能になった。

杉、白樺(しらかば)、水楢(みずなら)、黒文字(くろもじ)の材木から造った4銘柄。樹種ごとに特徴ある香りと味を持っている。目を閉じれば梢(こずえ)を渡る風の音さえ聞こえてくるようだ。

香りも味も芳醇

木の酒の開発はもちろん世界初の快挙。開発に関する論文は2020年に英国の王立化学会の学術誌に掲載されるなどしている。

継続していた各種の安全性試験でも問題は見つかっていない。今回、取材を通じて、試飲アンケート調査で香りや味覚を実体験する機会に恵まれた。

まずは香りを感じ、次に口に含んで喉に流す。

杉酒には針葉樹の雰囲気が漂い、白樺酒は幽(かす)かな甘さを含み、水楢酒にはウイスキーの風味に通じるものがあり、それぞれの樹種のイメージと響きあう。高級ようじに使われる黒文字の木の酒には重厚感があり、個性的だった。

「時」を飲む魅力

「一言で表現するなら、『時を飲む』ということでしょうか」。開発に当たってきた主任研究員の大塚祐一郎さんは、木の酒の魅力をこう語る。

樹齢数百年のスギやモミの巨樹が多く残る春日山原始林=4月27日午前、奈良県奈良市(川口良介撮影)

樹齢100年の樹木ならアルコールのもとになるブドウ糖は、その木が芽生えたときから伐採された年までの間に、木材の年輪のセルロースとして蓄積されたものである。

そのブドウ糖は100年間にわたって、その年々の大気中の二酸化炭素と根から吸い上げた水が、樹木の光合成の営みで同化されたものに他ならない。

ビンテージワインなどは醸造後の歳月が価値を育むのに対し、木の酒では醸造のスタート時点で既に年輪分の歳月を積み重ねているわけだ。「時間の次元が、これまでの酒と木の酒では根本的に異なるのです」

文明開化も身近

大塚さんは「木の酒では歴史との一体感も味わえます」と話す。江戸期から植林された奈良県・吉野地方の杉には樹齢200年を超えるものがあり、明治維新の頃に植えられたものも健在だ。こうした杉材を使えば「吉野杉蒸留酒・維新」という名前になるだろう。

時代感覚の共有だけではない。幕末から令和までの全ての年輪に含まれていた各年の炭素が、飲んだ人の体の一部を構成することになるからだ。

坂本龍馬や西郷隆盛らの息吹が身近になる。

ナノテクを活用

魅力に触れたところで、木の酒の造り方を紹介しておこう。

木材を構成する個々の細胞の壁にはブドウ糖が鎖状につながったセルロースが含まれている。だが樹木の細胞壁は、リグニンという高分子物質で木質化していて極めて硬い。

wood liquor
木材のセルロースを糖化・発酵させる装置と大塚祐一郎・主任研究員 (長辻象平撮影)

手順は、最初に機械で粉砕した木の粉に水を加え、ナノテクノロジーで使われるセラミック球とともに攪拌(かくはん)する。「湿式ミリング」という、この処理で木材の粉は細胞壁より薄い超微粒子に姿を変え、リグニンから解放されたセルロースが鎧(よろい)を脱いだように、むき出しの状態に。

そのセルロースを分解酵素でブドウ糖に変え、それを酵母の働きでアルコール発酵させると「木の醸造酒」ができる。これを減圧蒸留して仕上げたのが無色透明の「木の蒸留酒」。

太さ10センチ、長さ35センチの杉材がアルコール濃度35%の杉の蒸留酒750ミリリットルに姿を変えるのだ。

眠れる森の美女

木の酒には欧州民話の「眠れる森の美女」に通じるものがある。

魔法使いの呪いで、若い王女は鋭いイバラに覆われて誰も近づけなくなった城の塔の中で深い眠りに落ちる。それから100年後。近くの国の王子が救出の決意を固めて剣を抜き、森の中の城に近づくとイバラは後退。呪いも解けて王女は目覚めるという物語だ。

木の酒には5月、さらなるバリエーションが加わった。「木の醸造酒」は芳醇(ほうじゅん)な香りを持つのだが、じつはえぐ味が強かった。だから一手間かけて蒸留酒にしていたのだが、香りを保持したまま口当たりのよい酒に変身させる方法も開発されたのだ。

山村の振興策に

海外からも木の酒の技術への照会があるが、全て丁重に断っているという。

「国産材を使った日本の木の酒が、世界で最初の商品でなければならない」という哲学による対応だ。

森林総研は技術開発に専念し、事業化は行わない。国内の酒造メーカーによる取り組みを待っている。

蒸留ベンチャーの「エシカル・スピリッツ」(東京都台東区)が、その期待に応えようとしている。

大塚さんらは、木の酒を国産材の需要拡大、林業の成長産業化、山村の地域振興に結びつける新産業創出の構想を描く。育ち過ぎた大木や間伐材に用途が生まれるのも利点だ。

現在、木の酒の製造実験棟が建設中。完成後は研究の効率が向上し、扱う樹種の多様化が進む。

日本各地の森と水の組み合わせから産地ごとの特色に満ちた高付加価値の酒が生まれる。

筆者:長辻象平(産経新聞)

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