廃棄物業界に新しい風を ある女性社長の挑戦

大谷清運の二木玲子社長に、廃棄物業界の改革と女性地位向上についてインタビュー

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東京都葛飾区で、父親の跡をついで廃棄物回収からリサイクル、製品化まで取り組んでいる女性がいる。大谷清運の二木玲子(ふたぎ・れいこ)社長だ。会社のルーツは、戦後まもなく東京に設置された進駐軍の宿舎などからなる軍用地ワシントンハイツのゴミ回収だった。二木社長は、「生活をスリムにするRe・Slim(リスリム)」のライフスタイルを提案すると共に、業界の女性の地位向上も目指し、「全国産業資源循環連合会」の女性部協議会設立にも奔走している。 

ワシントンハイツのごみ回収がルーツだった

太平洋戦争終戦の後、焼け野原の東京・代々木の元練兵場に建設されたのが連合国軍総司令部(GHQ)の将校とその家族らが暮すための宿舎だった。その名もワシントンハイツだ。92.4万平方メートルの広大な敷地に家具付き、キッチン用品もそろえた住宅827戸ものアメリカの町が出現した。生活もアメリカンライフを実現し、大量の残飯や紙、金属類などの廃棄物が排出された。回収した残飯は養豚業の餌に、空き缶は製鉄の再生原料にするなど有効活用していたのが大谷清運のルーツになる。元は、日本を代表するホテルであるホテルニューオータニの創業者、大谷米太郎が興した大谷重工業のグループ会社の廃棄物部門(旧大谷興業)だった。1964年の東京オリンピックにむけ、政府からの要請でホテルニューオータニを創業するにあたり、大谷興業で働いていた二木玲子の父が譲り受けた。これが始まりとなり、大谷清運がスタートする。

――大谷家とは血縁関係ではなかったそうですが、会社設立の経緯を教えてください。
 
父は、大谷興業に勤務しており、ワシントンハイツからでてきた缶や鉄などを活用してロール板等の原料調達業務を担当していました。大谷興業を含め、ワシントンハイツの残飯を回収していた業者の多くは養豚業などを営んでおり、その数も55社ありましたがGHQが帰国し、ワシントンハイツが閉鎖したのを機に淘汰されました。仕事がなくなるため大谷興業など複数の社が東京都の清掃事業を行う権利をもらい受けたと聞いています。大谷米太郎(おおたに・よねたろう)が政府の要請でホテル業界に参入するため、この都の清掃事業を父が承継しました。このため、会社の名前を「大谷清運」としているのです。ホテルニューオータニやグループの廃棄物回収処理を今も任されています。今年(2022年)、大谷清運設立から60周年を迎えました。

リサイクルプラントで働く二木玲子社長(杉浦美香撮影)

――ホテルニューオータニに働いていらっしゃいました。会社を継ぐことになった理由を教えてください。
 
日本大学芸術学部に在籍していたのですが就職活動しておらず、縁があるニューオータニに入社させてもらい10年間、販売促進の仕事をしていました。私の部署が、大谷家3代目の社長である総支配人の執務室の近くにあり、社長の仕事を日常的に目にするにつれ、経営に関心を持つようになりました。経営と言えば、父も小さい会社ですが経営者です。ということで、ホテルをやめて当社に入社しました。

資源化に舵を切る 工場名はRE-BORN

収集運搬業務からリサイクル業務に手を広げたのは二木社長の考えだった。
 
――環境について関心を持つきっかけがありましたか。

ホテルニューオータニ時代、英語チェックのための英国人女性がいたのですが、彼女が環境について真剣に考えていたのに啓発されたのがきっかけです。1992年、ブラジルのリオデジャネイロで「国連持続可能な開発会議(地球サミット)」が催された時、私たちの仕事も環境に直結している、何かしたいと強く思うようになりました。その当時、我が社はゴミを収集運搬し処分場に運ぶだけでした。それだけではなく、資源化もしたいと考えました。しかし、実行するには場所と設備が必要です。近くに適当な場所がなく探していたところ、足立区入谷にいい場所があると連絡を受けました。同地区は住宅地ではなく準工業地域で廃棄物関連の工場も多いところです。
 
2000年、600坪の土地とそこに建つ300坪の工場を借り、中間処理施設を建設、まず破砕機を導入しました。次に、ペットボトルの圧縮機を導入しベール化(結束材で梱包して俵状にする)して資源化施設に搬出する足立区のペットボトルのリサイクル「ボトルtoボトル」を担うようになり、その後、杉並区の容器包装プラスチックの選別。圧縮作業と行政の顧客も広がってきました。仕事の拡大で手狭になり、新しい工場を確保することになり初めて(銀行から)借金をしました。父は無借金経営だったのですが……。

リサイクルプラントで働く二木玲子社長(杉浦美香撮影)

――工場を建設するにあたって、住民の理解を得るのに苦労されたと聞いています。

第2工場建設には近隣住民との関係で苦労しました。なぜ、葛飾区の業者が足立区にくるのかと反対運動が起きました。住民ではない活動家が加わり、大変でした。何度も説明会を催し、コストはかかることになりますが設計の計画変更も行いました。塗料メーカーの元役員が町内会の役員にいらして、廃棄物を固形燃料RPF(Refuse derived paper and plastics densified Fuel )化する機械を入れると知ると、「これからの世の中に必要だ」と言って下さり、流れが変わりました。認めてもらうため1年ぐらいかかりましたが、2010年に第2工場を開設することができました。住民の声を反映して、年に1度の施設公開や、透明性を確保するため見学通路も作りました。地域の盆踊りなどのイベントには協賛金や人、車も提供しています。今や「大谷清運が来てくれて良かった」と言ってもらえるまで住民との関係は良好になりました。

――現在、プラントも第4工場まであります。工場名は設立年の数字を後ろにつけてRE-BORNとされています。名前の意味を教えてください。

廃棄物にもう一度命を与え、可能な限り貴重な資源として活かす生かすという意味を込め、再び生まれるRE-BORN(再生)としました。

廃棄ビニール傘の再利用に着手

雨風の強い日、壊れたビニール傘などが道路に放置されている光景をよく見かける。突然の雨のとき、安価なビニール傘は重宝だが、資源化されないことがほとんどだ。二木社長は廃棄されたビニール傘を使ったアップサイクル(再利用)商品の開発を試みた。

――文京学院大学の学生たちと授業の一環として、廃棄ビニール傘を創造的に再生するアップサイクルに取り組まれました。どうしてですか。

RE-BORNという名前を考えた時、いずれ中間処理だけではなく、プラスチックのリサイクル製品自体を作りたいと思っていました。異業種交流の会合である時、日本洋傘振興協議会の方と知り合いになり、廃棄されるビニール傘をなんとかリサイクルできないかと相談を受けました。ビニール傘は金属製の骨もありリサイクルが難しい。文京学院大で環境を専門にしている先生に相談したところ、社会問題の解決をテーマにしている大学のまちづくり研究センター(まちラボ)の授業の一環で、学生とプラスチック削減のための廃棄ビニール傘をアップサイクルすることになりました。ビニール傘を活用してバッグを作っているモンドデザイン(東京都港区)も協力して下さり、学生のアイデアである傘ホルダー製品の試作品を作りました。ホルダーがあれば、しずくが床に落ちないように傘を入れるビニール袋の削減にもつながります。製品化にはいたりませんでしたが、意味があったと思います。

未来の生活は「リスリムライフ」で

社長の発案で、デザイナーなどが所属する企画事業部「Re・Slim(リスリム)」を新たに作り、廃棄物の分別講習会を企画、分別に関連するデザイン、リサイクルの教育用動画を製作している。
 
――リスリムの意味を教えてください。

再びスリムという意味になります。ただゴミにして廃棄するのではなく、長く付き合えるいいモノを選ぶという生活です。大量生産・大量消費・大量廃棄されるモノではなく、自分が気に入り厳選された少ないモノで豊かに暮らす。それが「リスリム」生活です。
これからもリスリムライフを提案していきたい。

例えば、コーヒー豆やお茶の葉など湿気を防ぐために、金属蒸着した袋がよく使われていますが、分別もリサイクルも難しい。メーカーの要望に応じて機能を加味した袋などが開発されていますが、リサイクルしやすいものを作るべきです。消費者も、そういったサーキュラーエコノミーに配慮した製品を選ぶ目を持ってほしい。

第2工場で夏の制服アロハシャツを着ている社員らと記念撮影する二木社長。男性はオータニマン、女性はオータニエンジェルと呼んでいる(杉浦美香撮影)

女性の地位向上目指し、全国産業資源循環連合会で女性部会協議会設立へ

――廃棄物の業界は女性が少ないと思います。苦労されたことがありますか?

この業界は女性の地位が低いのが実情です。業界団体の全国産業資源循環連合会で、女性部会があるのは47都道府県のうち1都12県にすぎません。各県に女性の会員について問い合わせたら「女なんかいない」とけんもほろろに言われたこともあります。しかし、この業界は中小企業なので女性が跡を継ぐことも少なくなく、女性の会員が一人もいないということはないと思うのですが、頭から否定したりします。

人材不足はこの業界の悩みのタネでもあります。SDGsの目標5は、女性の平等とエンパワーメントです。女性が輝いている業界だったら男性も入ってきます。女性活躍を推進していくために、今年(2022)年11月、連合会の中に女性の全国ネットワークとして女性部会協議会を設立し、業界の発展に務めていきたいと思っています。

筆者:杉浦美香 

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