イカの養殖に世界初成功 「温泉の仕組み」活用
日本の食卓に欠かせない存在なのに、漁獲量が急減している「イカ」。資源確保のため、約60年前から世界中で養殖の研究が行われているものの、なかなかうまくいかず、実現は不可能ともいわれてきた。
This post is also available in: English
日本の食卓に欠かせない存在なのに、漁獲量が急減している「イカ」。資源確保のため、約60年前から世界中で養殖の研究が行われているものの、なかなかうまくいかず、実現は不可能ともいわれてきた。だが沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究チームが、とうとう持続的な養殖システムの開発に成功し、5年後の商業化を目指して動き始めた。世界初の快挙の背景には、日本らしい「温泉の仕組み」を生かした、コロンブスの卵のような発想があった。
漁獲量はピーク時の1割
イカは、アジアや欧米を中心に、食材として世界中で愛されており、日本でも1人当たりの生鮮魚介の年間購入量では、2000年代初頭までずっと第1位だった。ところが、それ以降は順位の下降が続き、2021年度はサケ、マグロ、ブリ、エビに続く第5位に落ち込んでいる。
背景には、漁獲量の急減と、その影響による価格高騰があるとみられる。日本のイカ漁獲量は、明治以降のピークとなった1968年には77万3777トンにも上ったが、以後は減少が続き、2020年は約10分の1の8万2180トンにまで減ってしまった。
原因は、乱獲とも気候変動ともいわれるが、詳しいことは分かっていない。そのため、食卓に上るイカのうち、冷凍ものを中心に、かなりの部分を海外からの輸入に頼らざるを得ない状況に陥っている。
世界では約60年前から、養殖の実現によってイカ資源の確保を目指す研究が行われてきた。だが、実現は難しかった。イカは、まるで頭のように見える長い胴体のてっぺんを先頭にして、足側に海水を勢いよく噴射して泳ぐ。人間でいえば、後向きに走るようなものだ。この泳ぎ方は海の中ではいいが、養殖のために水槽で育てようとすると、壁に激突し、傷付いて死んでしまう。
また、孵化(ふか)直後の幼体の餌が不明で、育てようもなかった。餌が明らかになったとしても、安定的に供給することが困難だった。水温や水質にデリケートなため、ちょっとした環境変化で全滅してしまうことも大きな課題となり、イカの養殖は不可能なのではないかといわれてきた。
標的は高級なアオリイカ
OISTの研究チームは先行研究を参考にして、さまざまなイカの中から、高級食材として知られている「アオリイカ」を、養殖の対象に選んだ。スルメイカやヤリイカの仲間だが、胴体のてっぺんにある、一般的には耳やヒレと呼ばれる「エンペラ」という器官がスルメイカなどのような三角形ではなく、胴体の足近くまで長いひれのようにつながっているのが特徴だ。
エンペラは、スルメイカなどの場合は泳ぐ際のかじ取りの役割を担うが、アオリイカの場合、これを波打たせて使うことで、ゆっくりと泳ぐことや、海水中で静止することを可能にしている。そのため、水槽の壁にぶつかりにくいことが先行研究で分かっていた。
また孵化直後の幼体の餌も、イサザアミという体長約4~5ミリの甲殻類の仲間が使えると判明していた。この餌により幼体を成体に育て、産卵・孵化させるところまでは成功例がある。
だが、このサイクルを何世代にもわたって維持することは困難で、これまでに最も成功を収めた米テキサス大のチームでも、7世代で孵化率や生存率がわずか数%に落ち、サイクルを維持できなくなったと1990年代に報告したにとどまる。その後も、サイクルを維持できない謎を解明できず、実用化できなかった。
温泉風に海水をかけ流し
そこでOISTのチームは、ある程度の成功を収めた先行研究を詳しく検証。その結果、いずれもアオリイカを水槽で飼育する際、水槽内の海水や人工海水をポンプで吸い上げて濾過(ろか)器を通し、汚れを取り除いてきれいにしてから再び水槽に戻す「閉鎖循環型」であることに気がついた。そして、いくら海水をきれいにしても、これでは自然界の状態とかけ離れているのではないかと疑問を抱いた。
自然界の状態と同じにするには、いったいどうすればいいか。検討した結果、日本の温泉で次々と湧き出る温泉水を継続的に注ぐことで湯船を快適な状態に保ち、あふれた分をそのまま下水管に排出する「かけ流し方式」のように、フレッシュな海水をポンプで組み上げて常に水槽に供給し、あふれた分は水槽に戻さず海に排出する「海水かけ流し方式」なら、養殖に適した環境を作り出せるのではないかと思いついた。
さっそく、海の近くの研究施設に海水かけ流し方式の水槽を設置。アオリイカの受精卵を入れてみたところ、孵化後90日の生存率は90%を超えた。
さらに、アオリイカの様子をビデオで撮影し、餌を食べたかどうかや、成長の様子を分析。成長に最適な1回当たりの餌やりの分量や1日当たりの回数、水槽に入れるイカの密度、水流や水質の状態を割り出し、効率的な養殖システムを開発した。
その結果、この養殖システムでは、2017年から今年までの5年間に孵化から繁殖までを10世代にわたり繰り返し、5万匹以上のアオリイカを誕生させることに成功。10世代目の時点の孵化率や生存率は90%超を維持したままだった。そのため、チームは8月、世界で初めて持続的なイカ養殖システムの開発に成功したと発表した。
米ミネソタ・ダルース大教授も務めるOISTの中島隆太・客員研究員は「海水かけ流し方式は、常に自然のままの海水を使うことから最適な環境をつくれたのだと思う。天然の海水に含まれる有用な微生物が、アオリイカの幼体が餌を消化する際などに必要だった可能性も考えられる」と解説する。
5年後の商業化を目指す
研究チームは現在、この養殖システムの商業化に向けて漁業関係者や企業、行政などとの連携を進めている。養殖システムについての特許も申請した。ただ、課題はコストだ。閉鎖循環の養殖方式に比べれば、温度管理などに使う電気代が削減できるため、海水かけ流し方式の方が安価に運用できるのだが、天然ものの漁獲コストに比べると、1匹当たりの養殖コストは「まだまだ高い」という。
大きな問題のひとつは、餌をどうするかだ。アオリイカの幼体の餌はイサザアミだが、基本的に生きた状態でないと食べない。生きたイサザアミをコンスタントに調達するのは困難で、価格も非常に高い。そこでチームは、死んだイサザアミを餌とする取り組みを進めている。
孵化したばかりのアオリイカの幼体に与える生きたイサザアミに、わずかに生きていないものを混ぜ、幼体の成長に伴い比率を上げていく。こうやって、早い段階から幼体に、生きていないイサザアミも食べられることを学習させれば、最終的に全量を置き換えられる。これが、大幅なコストダウンにつながる。
中島客員研究員は「研究者とは異なる視点の漁業者や企業とタイアップすることで技術向上を加速させ、5年程度で商業化のめどをつけたい。実現すれば、急減したイカ資源の確保だけでなく、天然ものの乱獲や漁場の環境悪化の抑制につながるかもしれない」と話している。
筆者:伊藤壽一郎(産経新聞)
This post is also available in: English