国産バイオジェット燃料の大量生産 三友プラントサービスの挑戦

三友プラントサービスは、コーヒー豆かすを乳牛のエサにしてミルクを搾って循環させるだけではなく、バイオジェット燃料にも取り組んでいる。

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創業から75年。難しい産業廃棄物の処理にも対応できることで定評がある三友プラントサービス(神奈川県相模原市)の経営の基本は「環境と資源を守る」だ。コーヒー豆かすを乳牛のエサにしてミルクを搾って循環させるだけではなく、バイオジェット燃料にも取り組んでいる。小松和史代表取締役社長に未来へとつながる事業展開について聞いた。

地球にやさしい、持続可能な次世代バイオジェット燃料を実現

地球温暖化対策のために、ICAO(国際民間航空機関)は2021年以降の国際航空分野での温室効果ガス排出量増加分をゼロにする目標を設定、2027年から義務化されることからバイオジェット燃料の導入が求められている。

――バイオジェット燃料の技術開発のためにNEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の助成事業に採択され、研究を進めています。開発状況を教えてください。

2015年から、第2世代(食料にならないセルロース系)バイオエタノールを生産、そこからジェット燃料を作る技術開発をNEDOの支援を受けて行っています。バイオジェット燃料製造はコスト的には合わないが、このままだと日本は、海外からメチャクチャ価格が高いバイオジェット燃料を購入しなければならなくなります。そうしないために、2025年には製紙会社の古紙を原料にする製造プラントを、愛媛県に稼働させ、日本で初めて、国産バイオジェット燃料の量産化を実現します。

bio-jet fuel
「父の背中を追いかけてきました」と話す小松社長(杉浦美香撮影)

全ての業界と話題が作れる

――技術力に定評があり、大卒、大学院卒業者を採用されています。廃棄物業界として人手不足などの悩みはないのですか?

1978年に入社し、父から社員の採用を任せられ、大学卒業者を採用するようになりました。この業界ではまだ珍しかったと思います。また、営業もそれまでは日常の長靴、作業着姿が普通でしたがスーツに着替えるようにさせました。

コーヒー豆かすのエサを与えられている乳牛(株式会社リオグランデ提供)

毎年、ありがたいことに14~15人の募集に100人ぐらいが応募してきます。この業界で大学新卒者を採用できる企業がどれだけあるでしょうか。採用の前にまず、プラントを見せ、営業にも連れていきます。我々はプラントで、24時間3交代の汗まみれになる勤務があります。その基本を理解していなければ次の発想もありません。それが嫌であれば辞退下さいと言っています。このため、離職率も低い。また、産業廃棄物業は困りごとなので、どこの会社にいっても話をすることができるという遣り甲斐もあります。

――社長自身は当初は会社を継ぐつもりはなかったと伺っています。

高校時代は建築家を志望して、図面ばかり描いていました。ところが、大学の入学祝いに車を買ってもらい、喜んでいたところ、『遅くなったから迎えに来て』などと父から呼ばれるようになりました。会社も人が増えてきており、アルバイトで手伝っているうちに家業をやらざるを得ないとなっていきました。父の方が1枚も2枚も上手です。経営でも父だったらどうするかを常に考えています。父は困難な時代もそこから新しい知恵を出す人でした。今も父を超えられていません。

ガラスをリサイクル、自然に戻し海洋資源を守る

――今年8月、海を守り地域貢献する「日本海海洋資源活用地域連絡協議会(JCM)」が立ち上がりました。三友プラントサービスも技術協力パートナーとして参加しています。JCMへの役割を教えてください。

JCMは、持続可能な海洋資源の保全や洋上風力発電などの海洋環境の変化を踏まえ、漁業振興と地域の海洋環境の保護を通じて地域の活性化を推進するための会になります。技術協力として、我々以外では国内素材メーカー、国内太陽光パネルメーカーなども参加しています。

未来について語る小松社長(杉浦美香撮影)

ガラスは不純物を嫌うため、ガラス製品をガラス製品に戻すことは難しい。人工珪砂にして砂浜に戻します。いろんなリサイクルの手法はありますが、「Back to Nature Recycle」とでも言いましょうか。砂浜の流出は日本に限らず、島国共通の問題です。こうしたリサイクルにも貢献していきます。これは、海外のモデルケースにもなると思います。廃棄物を切り口にして全国に持つ我々のネットワークと技術を駆使し、環境と資源を守っていきます。

【プロフィール】小松和史(こまつ・かずふみ)1953年、静岡県熱海市出身。武蔵工業大学工学部卒業。関西ペイントを経て1978年3月に、同社に入社。1980年、取締役。1986年、取締役副社長。1992年6月から現職。

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(三友プラントサービスは、Japan 2 Earthのロゴ・パートナーです。)

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